本質的には呟き

日々の文章表現欲求の成れの果て。不定期、ジャンル指定なし、支離滅裂の三拍子。

書籍雑感『殺戮にいたる病』

友人の薦めで読んでなかなかに良かったので雑感をまとめようと思った次第。しかし、あまりにも世の中にネタバレ記事が多かったりするのでもし未読でこの記事を含むそれらを読むくらいなら先に書籍を手にしたほうが吉。それと余りにもグロ描写が激しいので耐性が無い人は少し注意を。

 

『殺戮にいたる病』

著者:我孫子武丸

出版社:講談社(1996年11月14日)

 

以下ネタバレ配慮無しの感想なので未読の方はプラウザバックを薦める。

また、例によってあらすじほかは一切書いていない。むしろ未読の方が読んでも理解できないようなレベルである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 多くのレビューにもあるとおりこの小説はまさに最後の1ページのために残り200ページ余りが存在しているような作品であった。直視に耐えがたいグロ描写や登場人物たちの様々な葛藤もすべてである。確かにこれは間違いなく”衝撃的読書体験”であった。

 しかし、読み終えてこうしばらく作品に思いを馳せていると気付く事がある。なんというか”蒲生稔”というシリアルキラーの顔がどうしても想像出来ないのだ。200ページを通して想像してきた”蒲生稔”はラスト一ページのトリックによって一瞬で消え去ってしまいそこには顔の無い、得体の知れない殺人鬼がこちらを向いているような感覚を残していった。我孫子の生み出した叙述トリックはホラーを隠れ蓑にしてその鮮やかさを際立たせているばかりでなく、叙述トリックが殺人鬼の顔を隠しホラーをさらに際立たせているようなそんな作品であると自分は感じた。

 

映画雑感 『トゥルーマン・ショー』

先日大学の元サークルの友人達と一緒にamazonプライムビデオの『トゥルーマン・ショー』を見たのだがなかなか面白い作品だったのでさくっと感想をまとめておく。

 

『The Truman show』(邦題:「トゥルーマン・ショー」)

監督:ピーター・ウィアー

主演:ジム・キャリー

   エド・ハリス

   ローラ・リニー

公開:1998年6月5日

 

あらすじ・・・・はさくっと書くのが面倒なのでWikipediaでも参照。

因みに以下はあらすじを前提にしたネタバレ配慮無しの記事となる。作品の性質上あらすじでもネタバレになる上に個人的には絶対ネタバレされたくない、というより去れないほうが良い作品なので未視聴の方はamazonプライムなりTSUTAYAなりで視聴したほうが良い。

以下の文章はスクロール後

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、余りだらだらと書くつもりは無いので世間の評価とか日本語のブログの感想とかもチラ見しながら漠然と。まず、この作品で自分が一番感動した、というより圧倒されたシーンはどこかというと間違いなくラストシーンのジム・キャリー演じるトゥルーマンの挨拶であろう。多くのヒトがこのシーンに惹かれていたし実際他の方のブログでも結構感動したなんて感想が散見された。ただ、個人的には感動というよりカタルシスと薄ら寒さのほうが強く感じた。というのもこの挨拶が個人的にはトゥルーマンの世間に対するある種の意趣返しのように感じたからだ。

 この作品を通してのコンセプトとしてトゥルーマンは常に彼に見えないように隠されたカメラからの視点で写されている。まさに、これこそがこの作品の肝要であり作中の監督であるクリストフはそうやって映し出されるトゥルーマンの赤裸々な日常を絶対に演者には作ることが出来ない真実の物語として売り物にしていたわけである。しかし、いつからか離島シーヘブンで生活するうちにトゥルーマンはこの島での生活に違和感を覚えていった。そして、いつからか普通でないと感じていた離島から飛び出して新たな世界に飛び出していったのが終盤のくだりである。この後シーヘブンの果てに至った彼はこの世界の支配者クリストフの対話を経て多くの番組視聴者の感動を伴いながら外の世界に飛び出していくわけだが・・・・・・このときの挨拶が ”Good morning, and in case I don't see ya, good afternoon, good evening, and good night! ” であった。このときの彼は番組の視聴者に対してまるで演者のカーテンコールのような挨拶をして見せたのである。そして、この挨拶は映画の冒頭にもまったく同じ演技を伴って成されているのだ。つまり何を思ったかといえば”トゥルーマン、君は一体いつから演じて居たんだ”ということである。そこに至るまで一体どのような構成でこのディストピアからの脱出をまとめるのだろう、親子のような支配者、被支配者関係からの独立あたりだろうかとありきたりなオチを考えていた身としてはまさに”やられた”といった感覚であった。

 そうやって見ていくと不自然なまでに陽気な性格や何故か周到な脱出劇など一体どこまで本当だったのかという気がしてくる。無論、作品として分かりやすいテーマとして物の真贋や浪費されていくフィクション、ノンフィクションなどはあげられるがこのこと一つで作品全体の見え方ががらりと変わってしまいジム・キャリーの演技もあいまって日曜深夜にその作品の出来に震え上がることとなった。

 やはりこのようなある種のどんでん返しのカタルシスは個人的にはたまらないものがある。成田良悟のバッカーノのレイルトレーサーの巻も作品読了後に同じような感動で震えていた覚えがある。つくづく作品を作る人々の才能に感動を覚えるばかりである。

読みあいって何だよって話

趣味が格闘ゲームなので割りといつも考えていた話。

なんだかんだ色々考えて日々変わっていってる部分でもあるので現状の考えといったところ。

 

格闘ゲームをやる前から対戦ゲームが自分は好きでその昔はかなりポケモンにはまっていたりもした。また、電子ゲームに限らずいろんな対戦ゲームでなんとなく読みあいに勝ったみたいな時に気持ちよくなるのは対人戦ゲームをやってる諸氏なら経験があると思う。じゃあそれって何よって話。

 

まず、一番最初に読みあいを考えるときに自分が考えるのはとても単純化された状況での読みあいは運ゲーと何が違うのかという話。格ゲーで言うならリバーサルでの昇竜をパなすかどうかの読みあい。多分ポケモンならふいうち、みちずれと積み技で互い裏無しの様なお互いに手札が見えている状況である。これは本質的にはじゃんけんと何も変わらない。まぁ実際のところは格ゲーならその読みあいに至るまでに試合全体の流れがあって体力やゲージなんかのリスクリターンの話があってその上で読みあいがあったりなんかするのでそこまで単純ではないのだけど。多分これが点じゃなくて時系列を伴った線の読みあいという話なのではあるのだけど実際のところ自分が普段やってるゲームではこの読みあいがとても少ないので一発の勝負ではなかなか線の形状を成さなかったりする。もうちょっと具体的に書けば代替一回のラウンドで多くてもこの読みあいを三回も勝てばほぼそのラウンドに勝つゲームなので読みあいが時系列を成さないよねって話。やっぱりそうなると本質的には運ゲーじゃんという話になる。

 

次はじゃあ複雑化してりゃあ良いのかってことになる。そうすると多分ポケモンの相手の型読みとかがこの読みあいの話になるような気がする。割とポケモンはパーティ構築の段階でのあれこれがあって特にちゃんとレートでそこそこやっていくためには各ポケモンに対戦頻度の高いポケモンに対する対処法を仕込んでいく必要が出てきたりする。そうするとおのずと相手のポケモンが何対策で選ばれてるのかという話になったりする。また、結局各ポケモンの技スペースが4つ、あとはアイテムと二種類から一つ選ばれるポケモンと性格、努力値の振り方の問題なので条件が多くて複雑な割りに実際に採用される型はそこまで多くなく答えは単純だったりする。なんかこれニューラルネットとかにやらせたら強そうだよね。まぁなんというか上の話を複雑化しているだけなのでやっぱりこれも運ゲーの部分は多そうだけどこれはそこに加えて経験則が強く出てきそうだなと思う。多分総対戦数とその分析が明確に力になりそう。

 

次にあるのが格ゲーとかにある相手を置き去りにするタイプの読みあい。ポケモンやってたときはまったく考えたことが無かったけれども制限時間や展開の速さというものが絡んでくると人の行動は相当に単純化する。複雑なこと、難しいことをやるためにはやっぱり相応な時間、もしくは想定が必要でそういう部分を押し付けて相手を単純化しようというアプローチ。スポーツの類はこの判断が多そうだなと思う。これも回数が重要だけれどもそれ以上に知識が物を言いそう。

 

最後にここ最近こういうのどうかなと思ってる話。どうしても格ゲーだけれども相手と多くの対戦の中でいろんな読みあいをしていった上で相手の理解度みたいなものを測っていってその上で展開の速さとかそういうものを押し付けて最後に相手の想定の外側だろうって選択肢を当てるような状況。相手を読みきるという話。読みあいを考えるときではじゃんけんではなく純粋な読みあいで勝つとはどういうことなのかと思うと自分は相手の手札を読みきることなのかな今は結論している。相手の手札、想定そういったものをすべて上回った選択肢による”分からん殺し”が究極的にはリスクを最大限抑えているような・・・・って話。

 

割といろんなところで対人は特に読みあいのことを考えている人が多そうなのでいろんな人の意見を漁って見たい。

ブログとか

書くのは恐らく高校生以来。

 

日々の文章表現の欲求をまとめるだけなので多分支離滅裂の不定期更新の予定。