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本質的には呟き

日々の文章表現欲求の成れの果て。不定期、ジャンル指定なし、支離滅裂の三拍子。

映画雑感 『トゥルーマン・ショー』

先日大学の元サークルの友人達と一緒にamazonプライムビデオの『トゥルーマン・ショー』を見たのだがなかなか面白い作品だったのでさくっと感想をまとめておく。

 

『The Truman show』(邦題:「トゥルーマン・ショー」)

監督:ピーター・ウィアー

主演:ジム・キャリー

   エド・ハリス

   ローラ・リニー

公開:1998年6月5日

 

あらすじ・・・・はさくっと書くのが面倒なのでWikipediaでも参照。

因みに以下はあらすじを前提にしたネタバレ配慮無しの記事となる。作品の性質上あらすじでもネタバレになる上に個人的には絶対ネタバレされたくない、というより去れないほうが良い作品なので未視聴の方はamazonプライムなりTSUTAYAなりで視聴したほうが良い。

以下の文章はスクロール後

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、余りだらだらと書くつもりは無いので世間の評価とか日本語のブログの感想とかもチラ見しながら漠然と。まず、この作品で自分が一番感動した、というより圧倒されたシーンはどこかというと間違いなくラストシーンのジム・キャリー演じるトゥルーマンの挨拶であろう。多くのヒトがこのシーンに惹かれていたし実際他の方のブログでも結構感動したなんて感想が散見された。ただ、個人的には感動というよりカタルシスと薄ら寒さのほうが強く感じた。というのもこの挨拶が個人的にはトゥルーマンの世間に対するある種の意趣返しのように感じたからだ。

 この作品を通してのコンセプトとしてトゥルーマンは常に彼に見えないように隠されたカメラからの視点で写されている。まさに、これこそがこの作品の肝要であり作中の監督であるクリストフはそうやって映し出されるトゥルーマンの赤裸々な日常を絶対に演者には作ることが出来ない真実の物語として売り物にしていたわけである。しかし、いつからか離島シーヘブンで生活するうちにトゥルーマンはこの島での生活に違和感を覚えていった。そして、いつからか普通でないと感じていた離島から飛び出して新たな世界に飛び出していったのが終盤のくだりである。この後シーヘブンの果てに至った彼はこの世界の支配者クリストフの対話を経て多くの番組視聴者の感動を伴いながら外の世界に飛び出していくわけだが・・・・・・このときの挨拶が ”Good morning, and in case I don't see ya, good afternoon, good evening, and good night! ” であった。このときの彼は番組の視聴者に対してまるで演者のカーテンコールのような挨拶をして見せたのである。そして、この挨拶は映画の冒頭にもまったく同じ演技を伴って成されているのだ。つまり何を思ったかといえば”トゥルーマン、君は一体いつから演じて居たんだ”ということである。そこに至るまで一体どのような構成でこのディストピアからの脱出をまとめるのだろう、親子のような支配者、被支配者関係からの独立あたりだろうかとありきたりなオチを考えていた身としてはまさに”やられた”といった感覚であった。

 そうやって見ていくと不自然なまでに陽気な性格や何故か周到な脱出劇など一体どこまで本当だったのかという気がしてくる。無論、作品として分かりやすいテーマとして物の真贋や浪費されていくフィクション、ノンフィクションなどはあげられるがこのこと一つで作品全体の見え方ががらりと変わってしまいジム・キャリーの演技もあいまって日曜深夜にその作品の出来に震え上がることとなった。

 やはりこのようなある種のどんでん返しのカタルシスは個人的にはたまらないものがある。成田良悟のバッカーノのレイルトレーサーの巻も作品読了後に同じような感動で震えていた覚えがある。つくづく作品を作る人々の才能に感動を覚えるばかりである。